そのかたづけに くぎづけ

    片づけコンサルタントとして片づけについて書いていく     「依頼する」 HP http://tanitsukasa.wix.com/seisatsu

片付け原則 「モノへのときめきを知る」

片付け原則 「モノへのときめきを知る」




この原則は、幸せを感じるモノに囲まれて生活することを目標に片付けをする清察であるから設けた原則だ。よって、片付けをするすべての場合に当てはまる原則ではない。清察である僕と依頼人がともに行う、”片付け祭”のときに、必要な原則だ。






モノ」としたのは、人間関係などの片付けではなく、あくまで「モノ」の片付けであるということ。

清察である僕は依頼人の人間関係の片付けには関与しない。

依頼人の所有する「モノ」を片付けるときに、手伝うのが清察である。





「ときめき」というのは、モノを見たり使ったり、モノに触れたりすることで、湧きおこる幸せで満ち足りた気持ちのことである。

どうやら人間は、幸せになるために生きているらしい。満足したいのだ。

その欲望を五感によって満たしてくれるモノがあるということを知る、というのが、この原則である。




普段何気なく使用しているモノを、五感で感じてみて、幸せな気持ちになるかどうかを試してみるということだ。

試してみると、「モノ」というのは、使用している存在ではなく、人間というイレモノを満足させることのある存在でもあることに気づく。

ここに気づくと、片付けの全体像が想像でき、すんなりと片付けが進むのだ。






確かに、普段でも、”思い出があるよね、この机”とか、”この洋服は自分のお気に入り”と思うことがあるが、そういった断片的にときめきを知るのではなく、

”片付け祭”を、部屋にあるすべてのモノを平行して同時にときめきを知る機会にする。





しかし、「モノへのときめき」を知るまでには時間がかかるとともに、「モノへのときめき方」が、片付中、そして、生活していく中で変化していくことを忘れてはならない。

また、「モノへのときめき」がある程度定まり、自分の頭の中で繰り返し沸き起こることで、「モノへのときめき」は安定してくる

この「モノへのときめきの安定」こそが、片付ける気力となるのだ。片付けのやる気だ

むしろ、「モノへのときめきの安定」を目指しているうちに、

部屋が片付き、幸せを感じるモノに囲まれた生活を送ることになることが、片付けである

片付いている部屋というのは、「モノへのときめきの安定」が得られている部屋である、ということになる。

言ってしまえば、依頼人の「モノへのときめきの安定」を目指す作業が、清察の作業であり、意味であり、清察の行う作業のしくみである。

「モノへのときめきを知る」ことは、「モノへのときめきの安定」を目指すための第一歩である。




片付けは誰もができていなかったこと。できていなかったことができるようになった体験のひとつとして、自転車に乗ることが挙げられる。

そこで、片付けられるまでの流れを説明するために、

「片付けられない状態」を「自転車に乗れない状態」であるとムリやり仮定してみたい。自転車運転経験のない人は、想像してほしい。




①「モノへのときめきを知る」:「こごう!と思って自転車でひとこぎだけする」

②「モノへのときめきの安定」:「自転車の車輪の安定」

②’「部屋が普段片付いている状態」:「こごう!と思わなくても自転車を運転している状態」






「モノへのときめき」だなんて、バカバカしいと感じてしまうと思うが、自転車に初めて乗事を想像してみてほしい。

自転車の乗り方なんて、言葉で説明することは難しい。

「モノへのときめき」を知り、自転車のペダルをひとこぎしてみて、分かることがあるのだ。




片付け原則 「モノへのときめきを知る」

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